自己像
下記、wikipediaの強迫生障害の心理的要因から引用します。
ちょっと小難しい文章ですが、
強迫性障害の方なら納得されるのではないでしょうか。
レオン・サルズマンは、強迫性格は今日もっともよくみられる性格であり、すべてをコントロールしようとし、それが可能であるという万能的な自己像をもつ点が特徴であることを指摘している。
強迫とは、同じ思考を反復せざるを得ない強迫観念と、同じ行為を繰り返さざるを得ない強迫行為を指すが、これらの症状の背後には強迫症者の持つ自己不全感が関与している。行為や思考を強迫的に反復して完全を期すことは、自己不信という根源的不安を防衛し、自己の完全性を維持することに繋がる。
精神病理学者の笠原は、「人生における不確実性、予測不能性、曖昧性に対する防衛」と強迫症をとらえ、そうした不安に対して「単純明快な生活信条、狭隘化した生活様式を設定して、確実で予測可能な世界を構築できるという空想的万能感を抱いている」と述べている。
僕はこれを読んだとき、何度も読み返し、何度も納得してしまいました。
自分を客観的に見てみると、まさにこのとおりなんですよね。
「万能的な自己像」
「自己の完全性を維持する」
「確実で予測可能な世界を構築できるという空想的万能感」
そう、僕らが強く求めているもの。
無意識に強く欲しがっているもの。
それは幻想だとわかっているのに。
でもそれは、わかっているようで、わかっていないことなんだ。
不確実な世界の中で、唯一自分の中で完全性を持たせることができる強迫行為を行うことで自分を納得させていた。
不安や恐れのあまり、現実から目をそらし、万能性を追い求め、迷宮に迷い込んだまま出てこられなくなってしまっていた。
もう一度冷静になって、自分の心と対峙してみよう。
万能なんてない。
完全なんてない。
確実な未来なんてない。
僕ら人間である限り。
未来は自分で創り出すもの。
今、この瞬間から創られるもの。
だから、今をちゃんと生きるだけ。
そう考えた。
そうしたら、どんな未来でも受け止められる気がした。
完璧な自分ではなく、
どんなことが起きても、受け止めたり、受け流したりしながら、それなりの対応ができる自分。
どんな困難が起きても、たいしたことないって言える自分。
それが、今の僕が考える理想の自己像。
あの時から随分変わった気がする。

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