見える世界が変わった日
高校の頃から近視が強くなっていった。
視力で言うと、0.2〜0.3程度だったかと思う。
子供の頃見えていた景色が、いつの間にかよく見えなくなっていた。
街の中、すれ違う人の顔やお店の看板や空の雲。
水性絵具が画用紙に滲んだように輪郭がはっきりしない。
目を細めると、少しだけましになる。
あいまいな世界。
でも、僕はメガネをかけていなかった。
メガネがあまり好きじゃなかったというのもある。
裸眼でもなんとか日常生活は出来ていたし、不完全な世界が嫌いなわけでもなかった。
時にははっきり見えないほうが都合の良いこともある。
ぼやけていると、女の子がみんな可愛く見える(笑)
やがて僕も18歳になり、車の免許を取りに行くことに。
車の免許をとるには両眼で0.7以上ないといけない。
そこで、はじめてメガネをつくることにした。
メガネは好きじゃなかったけれど仕方ない。
目の検査をして、フレームを選んで、僕のメガネが出来上がった。
気恥ずかしかったけれど、メガネをかけて街を歩いてみた。
えっ!
ショックを受けた...
人の顔がはっきり見える! 女の子の顔も(笑)
お店の看板や中で売っているものまではっきり見える!
木々の葉っぱや枝、空の色まではっきりきれいに見える!
こんなにも世界ははっきりしていたんだ。
世界はなんて美しいんだ!
目の良い人はずっとこの景色を見ていたんだ。
こんな世界があったんだ!!
なぜ早くメガネをかけていなかったんだろう。
決して大げさではなく、あいまいな世界があたりまえだった僕にはその世界は衝撃的だった。
見える世界が変わった日だった。
そして僕には、見える世界が変わった経験がもうひとつある。
それは、強迫性障害を克服できたと感じた日のこと。
今まで強迫性障害な自分があたりまえだった僕が、その世界から抜け出した日のこと。
はじめてメガネをかけて街を歩いた日と同じように、周りの景色が光り輝いて見えたあの日。
決して大げさではなく、見える世界が変わった日だった。
今の僕は、レーシックをして良く見えるのがあたりまえで、視力が悪かった頃のことは遠い記憶になっている。
今の僕は、強迫性障害を克服して強迫行為をしないのがあたりまえで、症状に苦しんでいた頃のことは遠い記憶になっている。
でも、見える世界が変わった日のこと、そのショック、見えた景色の美しさは今でもはっきりと覚えている。
この感覚、視力が悪い人は、きっとわかってくれると思う。
強迫性障害で悩んでいたら、ぜひ下記を試して見てほしい。
あなたにも、この景色をぜひ見てほしいと思う。
生きてることが
森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」
別に何があったわけでもない。
夜中にふと聴きたくなることがある。
何も考えずにぼーっと聞いていると、心がすーっと軽くなってくる。
春が来る!
春が来る!
春が来る!
春が来る!
長かった冬も終わりを告げる。
明けない夜はない。
やまない雨はない。
そう、やっと春が来る。
辛くて仕方なかった心。
わけもなく溢れた涙。
希望と絶望を繰り返すだけの日々。
いつまで続くのか途方に暮れていた。
でも、頑張っていれば、報われる瞬間が来るんだね。
必ず乗り越えられるんだね。
さぁ、春が来る。
心も軽くなる。
緊張を解いてごらん。
顔の力を抜いて。
笑おう。
もう大丈夫!
変わることが怖い?
あなたは、変わることが怖いですか?
今の生活が突然変化するとしたら不安ですよね?
もしも、明日から強迫性障害が治ったとしたら、どうしますか?
自分が強迫行為をしなくなると、なんか不吉なことが起きるんじゃないかと怖くなりますか?
実は強迫行為をしていると、落ち着く自分がいませんか?
ずっとやめたいと思っていた強迫行為がやめられるのに、それを拒否している自分がいませんか?
あなただけじゃない。
実は僕もそうだったんです。
実は変わることを恐れていた自分がいたんです。
人は本能的に変化を恐れるようになっているんですって。
それがプラスの変化であろうと、マイナスの変化であろうと、変化すること自体を恐れる。
今まで慣れ親しんだ現状というものに対して、変わっていく未来はまったくの未知のものだから。
どう変わっていくのかわからないから。
人間の脳は、すでに知っている情報のみを好み、知らない情報を嫌うように出来ているのだそう。
生き残るための太古からの知恵なのでしょうね。
今まで安全に生きてきたのに、わざわざ環境などを変えるということは、それだけ危険に晒されることが多くなるってことですからね。
例え、それが自分にとって嫌で嫌で仕方ないことでも、変化を選択することのほうが怖い。
上司が本当に嫌な奴で会社に行くのが死ぬほど嫌でも、転職するという変化や独立起業するという変化のほうが怖くて、結局、今の環境から抜け出せない。
夫が浮気をしていても、離婚したあとの自分や子どもの生活を考えると不安すぎて、そのまま我慢し続けてしまう。
なんて良く聞く話ですよね。
さらに、歳をとればとるほど変化を恐れるようになります。
その歳になるまで積み重ねたものも多いですし、簡単に捨てられないものも多いですから。
他人から見たら、そんなの拘らずにさっさと捨てて新しい自分に変われば良いのに!って思うんですが、当の本人は変わることに、ものすごい恐怖があるわけです。
う〜ん、変わりたいと思っているのに変われない。
もどかしいですね。
でも、これは僕やあなたのせいじゃない。
もともと、人間が本来持っている本能によって、変化を避けているだけ。
人として当たり前のことであり、あなたが落ち込んだりする必要はないんです。
逆に、この変化に対する不安が、本能によってもたらされていると理解することで、変化する一歩を踏み出せるようになるはずです。
僕がこのブログで何度も書いているように、強迫性行為をしなくなっても、それが原因で不吉なことなんか起きません。
強迫性障害であろうとなかろうと、不安がなくなるわけではないし、自分自身はなにも変わりません。
あなたが、強迫性障害である必要なんて、なにひとつないのです。
強迫性行為をしなくなったら、不安ですか?
強迫性障害でない自分を、想像できますか?
大丈夫です。
僕がそうであったように、強迫性障害なんて手放しましょう。
変わりましょう。
強迫行為をしようがしまいが、良いことも悪いことも普通にたくさん起きます。
それより、もっと自分のやりたいことに時間をたくさん使いましょう。
強迫性障害を手放したからといって、あなた自身が全くなくなって別人になるわけじゃないんです。
あなたはあなたのままで、強迫性障害だけがなくなる。
強迫性障害なんてなくても生きていけます。
もうあなたも、きっと大丈夫。
自由になりましょう。
変わる事を恐れないで!
一歩を踏み出しましょう!
僕が強迫性障害を手放した方法です。良かったら、下記を参考にしてみてください。
サイト リニューアル!
サイトをリニューアルしました!
結構、移行が大変でした...
前のデザインはこんな感じ。
んー、あまり変わってませんね(笑)
しかーし!
今回、なぜリニューアルしたかというと!
遅ればせながら、モバイルフレンドリー対応を行ったのです!
つ・ま・り、スマホでも見やすくなったということですね。
今まで、時代遅れでスマホ対応ではなかったんです(爆)。
みなさまにはご不便をおかけしました。
スマホで見ると、こんな感じに見えるはずです!
これでスマホでも見やすくなったかと思います。
ということで、今後とも宜しくお願い致します!
不安で不安で仕方がない
漠然とした不安を感じて、心臓が痛い。
いま、特別大きな問題が発生しているわけじゃない。
でも、近い将来に起きそうな嫌な事をいくつも想像してしまう。
考えれば考えるほど、不安で不安で仕方がなくなる。
心臓がきゅうと縮まる。
胸が苦しい。
そんな気持ちを押し込めながら、今日も仕事が終わる。
僕は一人、終電間近の電車に乗る。
電車には、たくさんの人達が乗っている。
酔っ払ってご機嫌そうに自慢話をしてるおじさん。
スマホでひたすらゲームをやっている学生。
疲れ果てて眠り込んでいるOLさん。
人前でもお構いなしにイチャついているカップル。
帰りの電車の中でも資格の勉強を頑張っているサラリーマン。
本当にいろいろな人がいる。
なんだか、みんな楽しそうに見える。
みんなそれぞれ自信を持って生きているように見える。
すごく立派に見える。
それぞれがちゃんと仕事をしていて、みんな逞しく生きている。
そんなたくさんの見知らぬたくさんの人を見ていると、心底不思議に思うことがある。
みんな、不安は感じてないんだろうか。
みんな、それなりに楽しく生きているんだろうか。
みんな、どこへ向かっていくんだろうか?
楽しげに話している人たちを見ていると、不安に苛まれている自分がさらに惨めに思えてくる。
そんな馬鹿げたことを思いながら、周りの人たちを見ていると、ふと30代位の男性が目に入った。
その人は、疲れた様子で遠い目をして、ゆっくりと周りの人たちを見渡していた。
その目を見た瞬間、あぁ、この人、僕と同じだ。
この人も、大きな不安を抱えてる。
そう思った。
何の根拠もない。
ただ、そう直感した。
この人が背負っているものが、どんな不安なのか、どんな悩みなのか、僕が知る由もない。
けれど、その不安に負けないように。
いつか、もっと自分に自信が持てるように。
疲れた目の中に、必死で頑張っている芯のようなものを感じた。
僕の勝手な思い違いかもしれない。
でも、それを見たとき、なぜか。
急に、僕の中の不安がちっぽけに思えた。
よく考えてみれば、不安や悩みのない人なんてきっといない。
多かれ少なかれ、不安や悩みを抱え、それを自分なりに隠しながら、みんな必死に生きているんだろう。
僕だって、周りから惨めに思われたくない。
だから、普段、この漠然とした不安をなるべく外に見せないように。
自信を持って、楽しそうに生きているように振舞っているつもり。
僕も、周りから見れば楽しそうに生きているように見えるのかもしれない。
だとしたら。
本当は、みんな僕と同じなのかもしれない。
みんな不安で不安で仕方ないのかもしれない。
それでも、みんな必死になって、笑って生きているのかもしれない。
僕は悲劇の主人公気取りで、不安を快く受け入れてしまっているだけなのか。
不安はいつでもある。
無限に湧いてくる。
不安で不安で仕方ないのは、僕が自分自身で不安を受け入れすぎているから。
不安を受け入れるか、受け入れないかは自分次第で決められる。
不安を受け入れようが、受け入れまいが、なるようにしかならない。
1時間不安で過ごそうが、10時間不安で過ごそうが、結果、なるようにしかならない。
なるべく不安にとらわれないよう。
なるべく不安を手放すよう。
あとは、なるようになれ!
不安なんかに負けない。
そんなふうに久しぶりに思えた。
深夜の混みあった電車の中が、いつもより明るく見えた。
他人と比べるのやめた!
自分の成績が常に表される。
学校での通知表、偏差値。
SNSでのいいね!の数、友達の数、コメントの数。
会社でのノルマ、査定、役職、年収。
持っているブランド、貯金、家の大きさ、車のグレード。
そんなもので、僕は常に他人と比較してきた。
今、僕の順位は?
アイツよりは上だ!
前はアイツより全然勝ってたのに、今じゃ負けてるかも...
もっと頑張らなきゃいけない。
嫉妬している自分がいる。
劣等感が半端ない。
アイツには絶対に負けたくない。
他人に見放されたくない。
もっと、もっと、もっと!
頑張って、頑張って、頑張らなきゃいけない。
そんな気持ちで、歯を食いしばって頑張って、やっとアイツに勝った。
でも、しばらくすると、その上の新たな「アイツ」が出てくる。
あたりまえだけど、上には上がいる。
そう、キリがない。
一生、必死に走り続けても、他人と比較し続ける限り、自分の劣等感や嫉妬心は消えることがない。
胸の痛みがどんどん強くなってくる。
自分の惨めさに心が小さくなってる。
自分を信じる気持ちが無くなっていく...
あぁ、このレースはいつ終わるんだろう。
このレースに限界を感じていた。
負けて初めて彼らの気持ちが理解できたこともあった。
もうこのままリタイヤしてしまうかもしれないという恐怖心や不安ばかりが大きくなっている。
そんなことをずっと考えていた。
ずっと思い悩んでいたんだ...
でも最近、思い至ったことがある。
あたりまえのことかもしれないけれど、
結局は他人と自分を比較し続けている限り、このレースから抜けられることはないということ。
他人と比較し続けても、自分が満たされることは絶対にないということ。
だって、あらゆる分野で自分より優れている人が日本中、世界中にたくさんいるのだから。
だとしたら、もう他人と比較すること自体をやめたほうがいい。
劣等感や嫉妬心をこれ以上自分に植え付けるのをやめよう。
もう人から何を言われてもいい。
もう人からどんな評価を受けてもいいじゃないか。
でも、諦めるわけじゃない。
比較する相手を変えるだけなんだ。
比較するのは、誰でもない、自分自身。
昨日の自分と比較して、今日の自分のほうが笑っていられるのか。
1ヶ月前の自分と比較して、今の自分のほうが仕事の幅が広がっているのか。
昨年の自分と比較して、今の自分のほうが人に優しくできているのか。
自分のライバルは、自分自身。
過去の自分と比較して、少しでも良くなっていれば、それが自分にとって勝ち。
勝ち負けを誰かに判定してもらう必要はない。
誰かから認められる必要もない。
他人の目なんて気にする必要はない。
他人がなんと言おうと、どんな目で見られようと、自分が良いと思っていればそれでいい。
自分で自分にOKを出せればいい。
それが自分にとっての幸せなんだと思う。
価値観と常識
人によって価値観ってまるで違う。
性格、体質、環境などによって、まさに千差万別。
例えば、僕の話。
なかなか公には言えないけれど、お酒がほとんど飲めない体質の僕にとっては、お酒や飲み会にほとんど価値を見出せない。
そりゃ僕だって、懇親を深める場として、たまに飲み会などをやるぶんには、とても有意義だと思う。
けれど、ただの付き合いのお酒は本当に嫌い。
なによりも酔っ払いのくだらない「愚痴」や「自慢話」に付き合うのは、時間の無駄以外の何者でもない。
人にもよるけれど、お酒が入るとその人の本性がわかるもの。
飲めないほうは冷静なので、すごくわかります。
自分が誰よりも偉いと思ってる勘違い説教ジジイ。
人の陰口、悪口を言いまくって自分を正当化する怯える子羊ちゃん。
お酒を飲まないと文句も言えない悲しき愚痴リーマン。
自分のことしか興味のない自己主張ナルシスト。
:
逆に僕は「飲まないつまらないヤツ」と思われているのでしょうが、なかなかつらいものです。
せいぜい飲んでも一杯程度のお酒に、わざわざ高いお金を払って、自分の時間を削られ、疲れが増していくだけ。
別に女の子のいるお店に行っても、ただ社交辞令の会話が飛び交うだけで正直楽しさがよくわからない。
歳をとったせいなのか、若いときよりもさらに嫌いになってきた気がする(笑)。
もちろん、僕みたいなのは少数派で、お酒の好きな人のほうが大半なわけですし、お酒が好きな人にとって、僕のこの価値観は全く理解不能でしょう。
お酒っておいしいし、人と仲良くなれるし、何よりも酔うと楽しい!
なぜ飲み会に来ないのか? なぜ飲まないのか?
コミュニケーションを軽視している!
けしからん!
そう思うのでしょう。
僕だって、お酒を飲めることに憧れるし、お酒が飲めたほうが単純に楽しいだろうし、人との付き合いも広がるだろうし、飲まないのは損だっていうのもわかる。
一説によると、お酒を飲まないのは人生の半分を損してるらしい。
人生の半分ってどんだけ〜ですよね。
でも、僕は飲めないんだから仕方ない。
飲む練習もたくさんしたけれど、結局、体が受け付けなかった。
これはどうしようもない。
どちらが正しいとか、そういうことじゃない。
普段みんながたくさんお金を使って飲んだくれているときに、僕は自分の趣味にお金と時間をかけて没頭していたりする。
それはそれで、僕にとっては幸せなこと。
誰に何を言われる筋合いもない。
それでいいと思ってる。
世間では、大勢の人がやっていることが常識と捉えられる。
その常識から外れると、アイツは変わっているとか、変なヤツとか言われて、みんなと同じ行動をとるように強制されることが多い。
でも、自分の価値観がその常識と合わないことって、実はすごく多い。
自分の考えがすごくずれていると感じることも多い。
あなたもそうでしょ。
でも、それって特別なことじゃない。
みんなずれてる。
僕もそうだったけど、特に強迫性障害を患っている方って、自分だけ世間の常識に馴染めないって思い込んでしまってることが多いかと思う。
自分だけ世間とずれている気がして、普通じゃない気がして、思うように行動できなかったり、将来の不安ばかりが増したり、余計にへんな観念の迷路に迷い込んでしまってる。
でも、みんな似たようなもの。
強迫性障害だから、そうってわけでもないみたい。
みんな価値観が違う。
それがあたりまえ。
常識は、どこかの大勢の価値観の最大公約数。
常識なんて、そんなもの。実際、よくわからない。
そんなふわふわした常識に、実はみんな縛られてる。
そう「常識に従わなきゃへんなヤツに思われる」っていう強迫観念。
だから、常識に従うべく、作り笑いやごますりなどの強迫行為を毎日してる。
み〜んな、人間。
同じさ。
不安をお酒の力で紛らわす人もいれば、強迫行為をする人もいる。
野球が好きな人もいれば、全く興味がない人もいる。
トカゲを可愛いと思う人もいれば、見たくもないという人もいる。
み〜んな、同じ人間。
価値観が違うだけ。
自分の価値観が全て正解と思っているところが、そもそもおかしい。
それこそ強迫観念でしかない。それこそ病気だと思う。
お互いが価値観を押し付けることなく、お互いの価値観を認め合う。
まずは、自分がまわりの人たちの価値観を受け入れること。
相手を認めること。
そこから交わっていくのだろう。
明日も飲み会。
気が重いけど、少しでも理解しあえるように楽しもう!
上書き保存
唐突に突っ込んだ質問をしますが(笑)
あなたは失恋したことがありますか?
きっと1回や2回はありますよね。
よく失恋を忘れるには「新しい恋をすれば良い」なんて言いますが、僕も本当にそう思います(経験者は語る ^^!)
以前聞いて面白いなぁと思ったのが、新しい恋をしたとき、昔の恋愛の記憶をパソコンのファイル保存方法に例えて、男性の場合は「名前をつけて保存」、女性の場合は「上書き保存」をするんですってね。
う〜ん、すごくわかるような気がする(笑)
僕がかなり引きずるタイプだから余計にそう思うのかもしれないけれど、女性はさっぱりしてるなぁと思うんです。偏見かもしれませんが (^_^;)
あっ、なんでこのブログでこんな話をしているのかなんですけど、先日昔の失恋を懐かしく思い出していたら(笑)、
ふと、失恋を忘れる過程が、僕の強迫性障害の克服の過程と似ているなぁと、思いまして。
なんでそんなふうに思ったかというと、強迫性障害の症状って、入れ替わり立ち替わり、いろいろなものが出てくるじゃないですか。
例えば、強迫行為(ここでは儀式と呼びますね)のレパートリーがどんどん増えていったり、不安の強さによってその儀式の内容もどんどん変わっていったり。
そこで、あなたにも、よく思い出してほしいのですが、以前に行っていた儀式で、今は実施しなくても大丈夫だったりするものってないですか?
きっと、ありますよね。
昔はあんなにやめたくて仕方のなかった儀式なのに、いつの間にか、今はしなくても大丈夫な儀式。
それって、実は「別の新しい儀式」に置き換わっているから、以前の儀式はやらなくても不安にならなかったりするんじゃないですか?
つ・ま・り。
別の儀式で、以前の儀式を「上書き」しているから、以前の儀式は忘れている。
そう考えると、以前の儀式なんかしていなくても大丈夫だった。
しなくても、悪いことなんか何も起こらなかったはずですよね。
そうか。
やっぱり儀式なんて意味ないんだ。
じゃぁ、もう儀式なんてやめちゃおう!
(という簡単な話だったら、苦労はしないわけですが...)
頭ではわかっていても、新しい儀式もやめろと言われたら、きっと不安になっちゃいますよね。
もしかしたら、以前の儀式よりも、新しい儀式のほうが効力があると思っているから、安心していられるのかもしれないし。
そんなふうに考えるのはわかります。
だとしたら。こういうのはどうでしょう?
その儀式を「さらなる新しい儀式」ではなく、
「別のもの」で上書きすれば良いのでは?
そう。
「別なもの」で上書きすれば、儀式なんてやらなくてもいられるはずでは?
今だからそう思えるのかもしれませんが、
僕は、知らず知らずのうちに、儀式を「別なもの」で、上書きしたんじゃないかと思うんです。
そう。
その「別なもの」
それが「克服方法で紹介しているRMMプログラム」だったんだと思います。
実施していた当時は本当の意味で理解できていなかったように思いますが、本田さんの言う、
「強迫性障害の根本的な原因を解決し、本質から改善する方法とは、悪い形で定着してしまった“認識”をぶち壊し、それに代わる新しい認識を、あなたの“脳に直接インストール”し直すことです」
というのは、そういうことなのかなぁ、と今更ながらに思うんです。
失恋を忘れるには「新しい恋をすれば良い」
いつまでも引きずらずに「上書き」してしまうのが一番。
過去の失恋なんて、早く忘れてハッピーになりましょう!!
ん? なんの話だ?(笑)
青い鳥
毎日、同じことの繰り返し。
変わりたいのに変われない。
いい加減、自分でも嫌気がさしてる。
本当は、自分を変える方法はいくつか知っている。
でも、それらは、結構面倒くさい方法なんだよね。
もっと、簡単でいい方法があるはずなんだ。
いま、それを探してる最中。
だから、まだ具体的に行動してない。
いい方法が見つかれば、すぐにでも行動するのに!!
僕の中でそんな言い訳が渦を巻いている。
そう、いつも青い鳥を待っている。
いつか青い鳥が突然現れて、自分の肩に止まってくれると信じてる。
知らないこと探しの旅をいつまでも続けてる。
アインシュタインは、こう言ったそう。
「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」
そうだね。
まさに、狂気の沙汰。
同じことを繰り返していても何も変わるはずがない。
もっといい方法とか待ち望んでいても何も変わるはずがない。
もう、知らないこと探しの旅は終わりにしよう。
まず自分の知っている方法から行動しよう。
行動してみて、もしそれが自分に合わない方法だったとしたら、次の方法を実践してみればいい。
自分の望みは、行動して、地道に継続して、やっと叶えられるもの。
実は、僕もあなたも、望みを叶える方法は既に知っているんだ。
それはベストな方法ではないかもしれない。
けれど、まず何をしなければならないかは、わかっているはず。
わかっている、知っているけれど、それを実践していないだけ。
いくつもの理由をつけて、実践していないだけ。
もう、ぐずぐずするのは終わり。
とにかく、なんでもいい。実践していこう。
そこから道は開かれる。
明日から本気出すとか、そんなこと言っていたら、今日の結果は変わらない。
明日を変えたければ、今日を変えるしかない。
失敗しようが、不安だろうが、やるしかない。
青い鳥を待ていてはダメ。
自分から青い鳥を探しに行こう。
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